「戦争中の物のない時代を知っているから捨てられない」というような言葉を時々耳にしますが、高度経済成長期に育った我々の年代でも、捨てられないのは同じです。
そもそも、生命の進化の過程で有り余るほど物が溢れていた時代があったのでしょうか。
食料にしても常に足りないのが普通で、病気になるほど食べ物が溢れている環境は、ほとんど無かったことでしょう。ですから、あればあるだけ食べようとするのは生存のために必要不可欠な本能で、ダイエットで痩せるということが難しいのは当然だと思います。
食料以外の生活物資や家財道具も同じだと思います。あればあるだけとっておく、もらえる物は何でももらっておくのが生存のためには当然正しい選択でした。
しかし、今や増えすぎた物が限られた生活空間を埋め尽くし、人の暮らしを豊かにするはずが、かえって圧迫するようになってきました。
せめて不要な物だけでも捨てよう。「でも壊れた物ばかりではないし、何かの時には使えそうだな~。もったいないな~。リサイクルできないかな~。色もキレイ、形もかわいい。思い出が…」。
捨てさせまいとする側はすでに感性、感情にまで進化していて体に染みついています。
一方、捨てる側は「不必要になった理由や理屈」を並べるのがやっと。まだ歴史が浅く、頭で考えているレベルです。これでは勝ち目はありません。
最近、「ときめき」を基準に物を捨てるという本が流行っているそうですが、これは捨てる側も感情に訴えるという意味では、画期的な発明と言えるかもしれません。
「物を捨てられない」のは、何億年もの進化の過程で身についたDNAのなせる仕業だと思います。
もしかしたら、物を捨てることで悩むのは「人類史上初」ということになるんでしょうか?
中島桂一